2017年4月4日火曜日

第2回研究会 2017.5.15.

【日時】
2017年5月15日(月)18:20~20:30 【終了】

【場所】
立教大学池袋キャンパス 12号館2階 ミーティングルームA,B
*部屋は奥まった場所にあります。場所が分からない場合は、12号館1階の守衛窓口でお尋ねください。

【テーマ】
著者を囲んで
大道晴香著『「イタコ」の誕生:マスメディアと宗教文化』を読む~


  【問い合わせ先】
初参加の方、質疑のある方など、お気軽に下記にお問い合わせください。
・奥野克巳 katsumiokuno[アットマーク]rikkyo.ac.jp 
・佐藤壮広 callsato[アットマーク]gmail.com
*スパムメール対策のため、[アットマーク]を@に代えてください。

 【研究会を終えて~開催レポート~】  
 第2回宗教人類学研究会では、最初に著者から、本研究の概要、結論、反省点などが簡潔に述べられた後に、著者と参加者との間で、活発な質疑・意見交換が行われた。

  シャーマニズム研究に臨む時、研究者は当該地域における様々な情報を集めるが、その情報自体が当のシャーマニズムに深く影響を及ぼしている。そうした点に目が向けられ、深く掘り下げられている点に、本研究の大きな特徴があると捉える見方を皮切りとして、マスメディアがつくりだす「リアリティー」とは何か、その強度とは何か、に関しての質疑がなされた。

  次に、マスメディアとシャーマニズムの関係に焦点があてられているので、ないものねダリ的な言い方になってしまうが、イタコがいかなる存在者なのかが見えてこないという指摘がなされ、また、表象論における主体・客体の用法に少し違和感があることが述べられ、他方で、聖典や司祭などのメディア(媒介)をつうじてしか宗教が成立しえないということとの対比においてマスメディアを取り上げているという、宗教の普遍性への視点に届いている点は、大いに評価されるべきだという示唆がなされた。

  この最後の点に関しては、宗教の媒介者とマスメディアの二重の媒介性から、シャーマンの本質に迫る必要があるのではないか、イタコの口寄せの現実の真偽はそもそも二の次のことで、シャーマニズムには、その場所その場所での社会的機能があるだけで、そうした本質へと迫っていく必要があるのではないか、という意見も寄せられた。

 また、実在するイタコが将来的にいなくなる中で、オリジナルなきコピー、記号だけが、イタコを成立させるのだとすると、そこで成立するものははたして宗教なのかどうか、そこでいう宗教的なるもの=宗教性や非宗教性とはいったい何であるのか、そもそもそういったカテゴリー化にどれほどの意味があるのかという点にも議論は及んだ。また、この点に関連して、民俗文化からイメージされた現実でないものが現実を生みだすプロセスが進行すると、サブカルチャー的なものと宗教的なるものの差異がなくなってしまう。その意味で、宗教なるものが何であるのかの探究は重要なのではないかという指摘もなされた。

 表象されるものがはたして宗教的なるものたりうるのか、という点に気づかせてくれるというのが、本書の重要な問題提起のひとつなのではないのかというのが、全体をつうじて浮かび上がってきたことである。

 第2回研究会には、全部で15名の参加があった。

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